映画『市民ケーン』あらすじと感想

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大富豪ケーンが『バラのつぼみ』と呟き死去することからはじまるストーリーです。莫大な財産を築きあげた彼が最後に残した謎の言葉。この真意を探るべく1人の記者が、関係者に話を聞いていく。ほぼ全編が回想シーンで振り返る演出、古さを感じさせないカメラワーク。1941年公開当時は度肝を抜かれた人が多く、現在ではアメリカの永久保存映画作品になっています。

さて、「バラのつぼみ」という言葉は、刑事コロンボ44話「攻撃命令」において重要なワードになっています。また、古典映画として重要な位置づけがされている今作品は、前々から見てみたかったです。あっという間に終わり楽しい部分もありました。しかし最後には、なんだか悲しくもなる作品でした。

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ココが見どころ‼

〇謎の言葉「薔薇のつぼみ」。視聴者にだけ最後に伝わるラストが悲しい。

〇1941年公開。古さを感じさせないカメラワークと演出。

〇オーソン・ウェルズ監督は25歳!さらに主人公ケーンを演じている。

データ

脚本:ハーマン・J・マンキーウィッツ&オーソン・ウェルズ
監督:オーソン・ウェルズ
制作:オーソン・ウェルズ
音楽:バーナード・ハーマン

本編時間:119分
公開日:アメリカ/1941年5月1日 日本/1966年6月14日

あらすじ

新聞王チャールズ・フォスター・ケーンが、ザナドゥ―と名付けた城のように豪華な自宅で死去した。莫大な富を築きあげ、世界各国での影響力もあった彼が最後に呟いた言葉は「バラの蕾」であった。ケーンの死は、またたく間に世界に知らされた。

映像会社「マーチ社」では、ケーンの追悼番組を作り、幼少期から晩年を映像と共に振り返っていった。映像は完成していたが、公開に待ったを掛けたのは編集長であった。すでに全員が知っているような情報であり、「彼が何をしたかではなく、何者だったかが大事だ」

ケーンが最後に呟いた言葉「バラの蕾」。この言葉が、彼の正体を物語っている。トンプソン記者は、ケーンの関係者に話を聞きに向かう。そこで、彼の過去を調べ、言葉の意味を探っていくのだ。しかし、徐々にトンプソンは気付く。1人の人生を理解するには、そんな単純なものではないというのを……。

人物紹介(キャスト)

今回の主役:チャールズ・フォスター・ケーン
役者:オーソン・ウェルズ

概要:新聞事業で成功し、莫大な富を築きあげた人物。晩年はザナドゥ―と名付けた豪華な城のような自宅で過ごす、ニュースではフビライ・ハンの異名を付けられていた。最期は自宅で「バラのつぼみ」と呟き死去した。なお、老衰か病死かは不明である。

6歳の頃まで、雪が降る地域で暮らしていた。しかし、両親が金鉱で富を獲得すると、教養のためにウォルター・サッチャーを後見人にして、1871年に親元を離れて生活をする。このことが、不満だったようで後の性格に影響を与える。最期まで、サッチャーとは馬が合うことはなかった。

25歳になると、両親の権利書通りサッチャーから「世界で6番目に多い財産」を譲渡される。金鉱、油田、不動産なども譲渡に含まれていたが、彼が欲したのは財産だけである。その金を使い、弱小新聞社『インクワイアラー社』を買収した。この創業時のメンバーは、バーンステインとリーランドである。

編集宣言として『弊社は全真実を素早く平易に楽しく伝え、いかなる権力にも加担しない。市民および人間としての権利のために私は戦う』をモットーにしている。徐々に人気に火がついていき、またライバル社からは優秀な記者の引き抜きを行い、地域トップの売り上げを達成するに至った。

1916年にフランス旅行から戻った際、大統領の姪であるエミリー・モンロー・ノートンと結婚を果たす。この婚約発表は知らせるのが恥ずかしかったようで、自分が部屋から立ち去ったあと、手紙で社員に伝わるようにしていた。

しかし、徐々に結婚生活には愛がなくなっていき、2人の関係は悪化の一歩をたどっていた。そんな時、偶然路上でスーザンと出会い親交を深めていった。やがて、不倫関係に発展する。そして、同年に州知事選挙に立候補する。知名度や演説などを通し、勝利目前まで迫っていた。

だが、対抗馬で現知事ゲティスに、スーザンとの不倫関係を掴まれてしまう。これを公表しない代わりに、選挙から降りるように求められるも拒否。新聞でスーザンとのスキャンダルが報道されるると、世論を敵に回してしまい選挙に落選し、エミリーとも離婚をする。

エミリーとの離婚、2週間後にはスーザンと再婚している。そして、スーザンの夢でもあったオペラ歌手にするため、シカゴに300万ドルでオペラハウスを建設する。また、彼女には音楽教師も付けるなどした。デビュー作として「SALAMBO」を上演したが、酷い出来であった。

精神的に参っている彼女を無理やりにでもステージに立たせるなどし、やがてスーザンは自殺を図る。オペラ歌手をやめたいというスーザンの希望を受け入れる。彼女の為に、「ザナドゥー」と呼ばれる豪華な城を建設し2人でを過ごした。

しかし、1929年の大恐慌により新聞社経営は打撃を受け、1933年に破産して経営から手を引く。その後は、ザナドゥーは未完成のままとなっている。徐々に屋敷での生活にスーザンは耐えられなくなり、屋敷を出て行ってしまう。その際には、取り乱したように部屋を荒らした。

ザナドゥーは、メキシコ湾岸の荒地に人工の小山(原料10万本の木と2万トンの大理石)、中には絵画、彫刻、他の宮殿から運んだ石、膨大なコレクションは10の美術館は作れるほどだった。また、動物園もある。キリン、馬、鳥、海洋生物など「ノアの方舟」とも称された。

世界恐慌後から徐々に影響力がなくなっていったが、イギリス、フランス、ドイツの首脳と会談したり、米西戦争の勃発にも大きな影響を与えた。ニュースの映像内には、ヒットラーの姿も見られた。大統領選では、勝利に導いたこともあるようだ。

しかし、晩年は訪ねる者もなくさみしい余生を送る。孤独の中、握っていたスノードームを落とし、「薔薇のつぼみ」と呟き、1941年に死去した。死亡を確認したのは、見回りにきた看護婦であった。


名前:メアリー・ケーン
役者:アグネス・ムーアヘッド

概要:夫とミセス・ケーンの下宿屋を経営している女性。雪が降る地域で貧しい生活を送っていただ、1868年に家賃不払いの下宿人から、家賃の代わりに廃鉱の権利書を譲られる。これが金鉱であり、莫大な資産を入手し、夫婦一人ひとりに年5万ドルを振り込まれるようだ。

その1週間後には、財産管理と教育のために、息子であるケーンをサッチャーに預ける決意を決めた。その後、ケーンと再会したのかは不明である。ただ、ケーンは母の死後。だいぶ年数が経った後、遺品がある倉庫を確認する感傷旅行に行った。


名前:ウォルター・サッチャー
役者:ジョージ・クールリス

概要:ケーンの後見人の男性。ケーンが6歳の頃から財産管理をしており、晩年は金融界の長老にまで昇進している。長年ケーンとの間に確執があり、少年だったケーンに雪ぞりで殴られた話は、笑い話として有名になっている。

金融界の会議では、ケーンをこう評価している。「ケーン氏は強固な信念のもと、過激な言動を展開し、個人資産や経済復興を攻撃している。氏は明らかにコミュニストである」。すでに故人となっており、サッチャーの記念館が設立されるほどの功績がある。その後の記録については、彼の回想録83P~142Pに記載されている。

サッチャーは、ケーンの母の契約通りに25歳になったケーンに「世界で6番目に多い財産」を譲渡する権利書を送った。しかし、ケーンは「金鉱も油田も不動産も興味がなく…、唯一そそられるのは弱小新聞NYインクワイアラー紙です」

そこからは、公社を酷評するなどセンセーショナルな過激な記事の炎上商法で、売り上げを徐々に伸ばし事業を拡大していった。しかし、世界恐慌の波に飲まれ、一部新聞事業を手放すことになったようだ。ケーンのことは金のことばかりを考えている奴だと思われていた。

ケーンは最後の最後まで彼を嫌っていたようで、サッチャーから「本当は何になりたかったのか?」の問いかけに対しては「あなたの嫌う者」と返している。回想録に『薔薇のつぼみ』に対しての言及はなかったものの、最もその言葉の意味に近かった人物だと言っても過言ではない。


名前:バーンステイン
役者:エヴァレット・スローン

概要:ケーンが潰れかけの新聞社「インクワイアラー」を買い取り、第一歩を踏み出した時からの古参メンバーの1人。長年忠実な部下として、ケーンの脇で彼を支えてきた人物である。彼にとってケーンは仰ぎ見る存在だった様子。

現在は新聞社の会長職となっており「会長職は暇なだけが取り柄でね」と語っている。長年付き添ってきた彼は『薔薇のつぼみ』のことは、女性の名ではないかと言う。その理由として、「意外なことを覚えているものだよ」と話す。

例として自身の意外な記憶を話す。「1896年のある日フェリーに乗っていると、対岸から来た別のフェリーに白いドレス、手には白いパラソル、ほんの一瞬目にしただけなんだが、今でもはっきりと覚えている。不思議なものだ」

また、サッチャーのことは非常に愚かな人物だと評価している。ケーンの狙いは金のことばかりだと思っていたが、バーンステインによるとケーンは金などは欲しくはなかったと言う。それを、サッチャーは理解しなかったからだと振り返る。

性格としてはお調子者のような、ムードメーカーである。劇中では話の聞き手になっていたり、ジョーク、間を取り繕うなど中間管理的な立場が多い。時には適格な言葉で相手を安心させる姿が見られている。「私は常にケーンと同意見だ」という言葉から忠誠心が伺える。

ケーンとの過去を振り返ることでばら『薔薇のつぼみ』とは、「失った何かかも。彼は、ほぼ全てを失った」と語った。バーンステインによる『薔薇のつぼみ』とは、①意外なこと②失った何かとまとめることができる。遠からず、近からずである。


名前:ジェデッドアイア・リーランド
役者:ジョゼフ・コットン

概要:劇評論家の男性。ケーンとの付き合いは大学時代からの友人であり、思ったことをしっかりと断言し、信念と誠実さをもった敏腕な男。現在は老いにより、180丁目のハンティントン病院の老人ホームにおり、だいぶ性格は丸くなった。看護婦の目を盗んではタバコをねだる老人になっている。

バーンスタインによると、名門の出だが父親が自殺して、残されたのは借金の山らしい。ケーンは様々な大学を放浪しており、その名門で出会ったのだろう。サッチャーやバーンスタインとは違う鋭い観察眼をもっている。ケーンの最も古い友人であり、最大の被害者とも語る。

ケーンの性格としては「良い面があるのに出さなかった。自分自身を決して人に与えない。オマケだけさ。広い心を持ち実に多くの意見を持っていたが、彼は何も信じなかった。チャールズ・ケーン以外はね」愛を欲している。何をしても愛である。選挙にでたのも愛されたかったからと話す。

ケーンの選挙戦敗北後は確執を生む。常に見返り(愛)を求める、結局は自分自身のことしか考えないということを知ってしまったからだ。偉大な男だと思っていた人物が、そうではないと分かってしまったのだ。本人希望で本社から、シカゴ支局への移動を希望した。

ケーンの編集宣言を見てみよう。「弊社は全真実を素早く平易に楽しく伝え、いかなる権力にも加担しない。市民および人間としての権利のために私は戦う」この宣言は、後に大切な資料になるとリーランドは語った。創業時の、この考えに乗っかってケーンについていったのだ。

ケーンは後に、歌劇団を設立する。リーランドは劇評家として、自社の歌劇団のことは高く評価する必要があった。だが、信念を曲げられず正直なリーランドは、歌劇団のことを酷評(実際にひどいでできだったため)した。この記事を途中まで書き上げ、酒を飲んでふて寝している。

その記事をケーンは見る。自分が設立した歌劇団の酷評記事ではあるが、彼の意思を受け継ぎ自身で酷評する文章を書き足した。この記事を書いた後は、ケーンからクビを通達される。手切れ金2万5000ドルを渡されたようだが、その金と共に編集宣言の現物を送り返した。

なぜ、自分の酷評する文章を引き継いだのかについては、誠実さを示したかった、なんでも証明したかったと語る。最後に彼とのやりとりは、5年前に手紙を送ってきたことだったという。しかし、返事は返さなかったようだ。彼は寂しかったのだろうと言う。

※監督オーソン・ウェルズによると、ケーンはリーランドの誠実な姿勢に憧れをもっていたと語る。ケーン自身、リーランドのような人物になりたかったのだと。偉大な人物になりきれなかったのがケーンで、ケーンが目指す人物像がリーランドにあったのだ。


名前:スーザン・アレクサンダー
役者:ドロシー・カミンゴア

概要:キャバレーの歌手であり、かつてケーンの2番目の夫人だった女性。ケーンとの出会いは、歯痛で薬品店に薬を買いにいったことがきっかけである。店から出ると、ケーンが馬車が跳ねた泥をかぶる。それを見て大爆笑し、自宅のお湯を貸したのがきっかけである。初対面時は笑い上戸のように、常に笑いを絶やさなかった。

母親が彼女をオペラ歌手にするのが夢だったようで、歌手の仕事をしている。しかし、本人は才能がないのを自覚している。初めてケーンにあった日に、歌を披露したことが最大の失敗であったと振り返っている。

丁度、ケーンは州知事選挙に出馬中であり、現知事であるジェームズ・W・ゲティスの悪政ぶりを批判。民衆の心を掴みケーンは勝利目前であった。だが、ゲティスはスーザンを脅し、ケーンの現妻に手紙を送らせた。妻と子供の安全を確保したければ、選挙戦から身を引くようにとゲティスが働きかけたのだった。

ゲティスは、スーザンとの不倫関係をリークすることで、ケーンは各誌で酷評される。民衆から見放されることとなり、結果として州知事選は敗戦することになった。敗戦後に妻と離婚。その2週間後に、スーザンと再婚した。これ以降、選挙に出馬することはなくなった様子。

結婚後はケーンにより、シカゴに歌劇団を300万ドルで設立する。自分でも歌の才能はないと語っているが、歌の先生からも才能はないと評価される。結局のところ、最後まで歌が上達することはなかった。様々な新聞紙で酷評され、笑いものにされ続ける。

自身の限界を悟った彼女には、ケーンは不評の嵐の中でなお自分をさらし者にする暴君でしかなかった。疲れ果てた彼女は自殺を図り、2人はやがて宮殿のような邸宅ザナドゥで愛のない生活を送るようになる。乱れた心を取り繕うかのように、ジグソーパズルばかりをする。だがそれもとうとう限界になった。命令ばかりをされてきた彼女は、自分自身の意思で別れを告げた


名前:レイモンド
役者:ポール・スチュアート

概要:ザナドゥの執事を11年間務めた男性。『薔薇のつぼみ』の情報については、1000ドルの取材料を要求したが、情報価値なしとのことで却下されている。その情報とは「スノードームを見ると薔薇のつぼみと呟いた」「亡くなる日にも”薔薇のつぼみ”と声がしてガラス玉(スノードーム)が落ちた」とのことだった。
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公開当時の評価とは?

当時25歳の監督「オーソン・ウェルズ」のハリウッド・デビュー作が『市民ケーン』です。斬新なアイディアに大胆な実験を取り込んだ作品でした。百年に1度の傑作になってもよかったのだが、メディア界の立役者である「ウェリアム・ランドルフ・ハースト」をからかったような作品と思われてしまったことで、妨害運動を起こされてしまいます。

これは、ウェリアム自身よりも取り巻く人々の間から沸き上がったもののようで、新聞では激しい攻撃をはじめ、公開を遅らせるなどの打撃を受けました。この作品の後、ウェルズは、2度と制作上の自由を手にすることができないだけではなく、ハリウッドからも干される呪いの作品になりました。

さらに、新聞王ケーンのモデルとされる「ウェリアム・ランドルフ・ハースト」は、原作同様に大豪邸で収集癖のある人物であった。結婚相手は女優「マリオン・デイヴィス」で、映画とは違い2人の生活は幸せそのものだったようです。

そのハーストが、新聞を使い「市民ケーン」の公開妨害を企てたのは、この映画の仕掛けイタズラが原因だったようである。このドラマのキーワードとなっている「薔薇のつぼみ」とは、ハーストがデイヴィスの女性器を示す言葉だった

さらに、ケーンが暴れるシーンでは、棚の奥にウイスキー瓶が隠されていた。当時、マリオン・デイヴィスがアルコール依存症であり、そのことの当てつけに瓶を置いていたのだ。ハーストの妨害工作により、9部門の入賞が決まっていたが、実際に入賞したのは脚本賞の1つだけである。

1941年公開の映画ではあるが、その作品が評価されたのは1962年からである。アメリカ映画ベスト100にランクインし続け、アメリカ映画の永久保存に決定となった。(2018年12月30日)

映画監督を目指すなら、ぜひ見るべき理由

最初に結論を出し、徐々に回想シーンで振り返る。読み切り漫画や短編作品では主流となっている手法ですが、この時代では珍しい方法だったようです。「どうしてこうなったんだ…」→「それは、3時間前にさかのぼる」みたいな感じです。

また、映像描写が素晴らしいようです。ディープ・フォーカス撮影を駆使した3次元的な画面構築、ロー・アングル、重なり合う音、カメラワーク。これらは、従来の映画からの平面的な空間からの解放とも称されているようです。そのため、今見ても、まったく違和感のない映像描写であり、現在でもお手本のような映画技術とされているのです

州知事選挙の演説シーンでよく分かります。上から下を映すようなアングルで、全体像がはっきりとしています。こういったカメラのピントを合わせるために、かなりの工夫がされているようです。

『薔薇のつぼみ』とは?

意味が最後に明らかになります。そこではじめて、私たち視聴者は『薔薇のつぼみ』を知る演出は「おー!」と思わず声をだしてしまいました。登場人物の会話を繋げていくと、だんだんと意味が分かるようになるストーリーの組み立て方はお見事です

この物語では、5人の登場人物たちに話を聞いていき、回想シーンで振り返ります。それぞれに、言葉の意味のようなヒントが組み込まれているのです。物語の最後の台詞にもあるような、「ジグソーパズルのピースの一片」のようですね。

①サッチャー:ケーンは幼少期に、両親の考えでサッチャーのもとで教育を受けた。しかし、ケーンは晩年までサッチャーのことを嫌っていた。また、6歳~25歳の描写がない。
②バーンステイン:金には興味がなかった。「意外な何かかも」「ケーンは何もかも失った」
③リーランド:「彼は愛を求めていた。しかし、愛を知らないため他人を愛せなかった」
④スーザン:ケーンは自分自身を正当化する理由で自分に押し付けてくる。
⑤レイモンド:収集癖がある。スノードームを握り「薔薇のつぼみ」と呟いた。死ぬ前にも。

物語の最後、清掃業者が不用品を焼却炉に投げ込んでいく。その中にガラクタとして焼却炉に投げ入れられる雪ぞりには、『薔薇のつぼみ』という言葉と絵が描かれていたのだった。幼少期にサッチャーに預けられたことで、失った母の愛情の象徴。それが「薔薇のつぼみ」という言葉に凝縮されているのだと感じました。

①で両親と離れ離れになったサッチャーへの嫌悪感。6歳~25歳までの回想シーンがないのは、その頃に愛や思い出が失われていたから。両親の愛を知らずに育った。

②「意外な何か」「失った何か」…大富豪であったケーンが最後に思い出したのが、幼少期に遊んでいた雪ぞりに書いてあった言葉。

③愛を知らない彼は、自分に愛を求めていった。

④自分は他人を愛していたはずだったが、皆離れて行ってしまった。愛し方も愛される方法も知らないから。

⑤心の隙間を埋めるために、膨大なコレクションを収集していく。スノードームを見て、幼少期に過ごした雪国の風景を思い出したのだ。

まとめ

 

ストーリー展開としては『張り手型』のシナリオになります。最初にインパクトのあるオープニングで視聴者の心を掴み最後まで離さない。冒頭で『薔薇のつぼみ』という謎の言葉を出しておき、視聴者はその言葉の意味を知ろうとするために最後まで見てしまうということです。

また、主人公であるケーンという人物を前面に出しているものの、詳しくは紹介されない。そのため、ほぼ回想シーンとともに視聴者は、映画という名の旅を主人公であるケーンと共に続けていくのです。感情移入できる主人公の構築が上手いと感じます。回想シーンは物語が進んでいるように見せて進んでいないので、この回想の主役に感情移入できないと苦痛でしかないのです。

最後まで全員が『薔薇のつぼみ』の意味を知ることはありません。ただ、視聴者にだけは意味の伝わる最後はもの悲しさがありました。偉大な者になり得なかった男の話。1人の人生を理解するには、そんな単純なものではないというのを感じます。

以上、「市民ケーン」でした。

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