古畑任三郎 第1シリーズ7話『殺人リハーサル』殺陣で殺人

古畑任三郎 7話 殺人リハーサル
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時代劇撮影所での事件です。殺陣のリハーサル中に殺人事件を起こすという同音異義語が個人的には大好きなネーミング。さて、田村正和氏は時代劇俳優でもりました。本当は時代劇の撮影所のことを知り尽くしているのですが、素人を装って捜査しているという視点で見ると非常に面白く感じるエピソードなのです。

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データ

脚本:三谷幸喜
監督:関口静夫
制作:フジテレビ
演出:星譲
音楽:本間勇輔

本編時間:46分05秒
公開日:1994年5月25日

あらすじ

殺人リハーサル 人物相関図

映画俳優・大宮十四郎(小林念侍)は、撮影所所長・城田春彦(長谷川初範)に撮影所閉鎖計画の撤回を求め懇願書を提出するも、すでに決まったことであると一蹴されてしまう。そこで大宮は、殺陣のリハーサル前に城田に間違った段取りを教えると、彼が動き誤ったため不可抗力で切ってしまうという筋書きで斬殺した。小道具室にある模造刀と真剣を持ち替えた取り間違っていたと説明すると、事件はリハーサル中の事故として警察の記者会見が開かれるのであった。

人物紹介(キャスト)

今回の犯人:大宮十四郎
役者:小林稔侍(こばやし ねんじ)

概要:映画俳優の男性。役者になった頃から世話になっている撮影所が閉鎖されることになる。スタッフの思いなども込められた嘆願書を手渡し、白紙撤回を求めるが所長・城田春彦の意思は変わらず。そこで、殺陣のリハーサルを利用して、小道具の刀と真剣の取り違えによる事故に見せかけ斬殺した。


今回の被害者:城田春彦(しろた はるひこ)
役者:長谷川初範(はせがわ はつのり)

概要:日本キネマ撮影所の所長である男性。亡くなった先代社長から撮影所を引き継ぎ、スタッフからは御曹司と呼ばれている。出たがりな性格であり、元役者志望も相まって撮影では度々ゲスト出演していたようだ。経営手腕はなく多角経営に手を出し失敗。多額の借金を抱えたため、撮影所を取り壊してスーパーにしようとしていた。

小ネタ・補足・元ネタ

〇『あっぱれ侍』の主役である貝割主水介(かいわれ もんど)の名前の由来は、1993年『乾いて候』で田村正和氏が演じた腕下主丞(かいなげ もんど)のもじりである。また、貝割主水介の衣装は、田村正和氏が演じた『眠狂四郎』に寄せている。

〇大宮十四郎が初めて主役を務めた映画『忠治、故郷へ帰る』は、実在する江戸末期の侠客であった「国定忠治」を題材とした作品だと思われる¹⁾。大宮が舞台スタッフに頼み保管してもらった『月』は、赤城山のシーンとされている。

〇小道具係・山本シュウの役者は『梅津栄』である。

刑事コロンボからのオマージュ

○犯人自身が犯行現場となる場所で捨てたポラロイドカメラの写真から疑われるきっかけは、刑事コロンボ27話『逆転の構図』から着想を得ていると思われる。

〇大宮十四郎が殺人を認めたときのセリフや、撮影所は伝統があり歴史を守る必要があるという信念など、人物像としては刑事コロンボ28話『祝砲の挽歌』の犯人ライル・C・ラムフォード大佐に影響を受けている。罪を認めた際のセリフも「わたしは後悔していない。わたしは何度でもするだろう」と、良く似ている。

今後考察したいポイント

〇犯人は思い出深く歴史ある撮影所の閉鎖を阻止するべく犯行に及んだ。しかし、冒頭ではファンのおばちゃんたちに貰ったポラロイドカメラの写真をこともあろうにスタジオセット上に捨てている。なぜこのような行動をとったのだろうか?

まとめ

第3話『笑える死体』と同様「殺意の証明」に焦点が当たっており、いかにして事故ではなく計画的な殺人であったのかを立証するのかがポイントになっています。最初から大宮十四郎が事故として罪を認めているため、刑事へ反発するという会話のやりとりが少ない印象を受けました。

「イミテーション(模造刀)か真剣かはわかるのではないか?」「今泉慎太郎と蟹丸警部の記者会見」など、トリックに対する疑問点、コメディ要素も付け足した結果、どうしても入れ込む時間がなかったのかも知れませんね。古畑への真剣白刃取りのシーンでは、失敗すれば2度目の殺人を犯すことになっていたことでしょう。

さて、『撮影所閉鎖阻止』という大義名分を掲げての犯行でした。犯人の個人的な思いだけではなく、そこに携わる撮影所スタッフの場面も魅せることで、女性犯人に多い共感路線を男性犯人でも展開しようという狙いがあったわけなのです。

ドラマチックな本作品ですが、個人的には『撮影所』に対しての魅力を十分に感じることができず物足りなさを覚えました。大宮十四郎が、伝統と歴史があり残す必要があると語るが、やはり50分枠に収めるのは難しいでしょう。

納得いかない部分もあり、犯人は美術や小道具にはすごくこだわるらしいのですが、冒頭でファンから貰ったポラロイドカメラの写真をスタジオセットの丘の上に捨てているのです。これは、撮影所を大切にしているとは思えない冒涜行為であります。これから殺人現場となる丘の上に配慮は必要ないと考えていたのでしょうか。

以上、『殺人リハーサル』でした。

引用・参考文献

1)高橋敏『国定忠治』岩波新書、2000年

  1. 個人的にこの回の被害者には同情を禁じえないと感じています。

    いくら歴史のある撮影所とはいえ、時代のニーズには勝てず、経営者としては金にならない商売などいつまでも続けていたいわけがないので、商売替えを考えるのは当たり前の事(看板俳優の大宮の映画がヒットしないのも閉鎖を考えた原因の一つでしょうし)。

    普通なら「商売にならないから撮影所を閉める」というだけでここまでの惨事にはならないでしょうけど、「映画には関心がないのに自社映画には出たがる」「大宮の目の前で嘆願書をゴミ箱に捨てる」「監督に見せ場をよこせとゴネる」という殺されるための悪役設定を盛り込まれまくったこの御曹司は、本当の意味での被害者だと僕は思っています。

  2. タツノコアマ様
    >>歴史のある撮影所とはいえ、時代のニーズには勝てず
    >>看板俳優の大宮の映画がヒットしないのも閉鎖を考えた原因の一つ

     大宮にすればデビュー当時からお世話になっている撮影所であり、閉鎖となればスタッフの生活も危ぶまれてしまいます。おっしゃる通り、大宮自身が「時代劇映画をやっても儲けは少ないが、長い伝統がある」と言ったセリフがあり、経営利益を伸ばすためにも、2代目所長である御曹司は撮影所以外の商売にも手を出す必要があったのでしょう。この点を考えると、現状を維持したい現場やスタッフ目線の大宮と、失敗するリスクも大きいが企業として成長を求める経営者目線の城田との間でコミュニケーションが取れていないのが残念です。

     『伝統ある撮影所を守りたい』という大義名分を掲げた殺人でありますが、決め手となった証拠は自身の思い出でしたので、大宮にとって、伝統=自らの思い出だったのでしょう。撮影所とは自身のアイデンティティの塊であり、これが無くなってしまうことを最も恐れていたと考えるとエゴイストに感じますね。
     
    >>個人的にこの回の被害者には同情を禁じえない
    >>悪役設定を盛り込まれまくったこの御曹司
     先代社長の御曹司・出たがり・ワンマン経営と嫌われる要素てんこ盛りであり、勧善懲悪とばかりに、正義を振りかざす大宮に成敗される悲しい結末ですね。
     

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